疫病流行記ポスター

疫病流行記パンフレットより


演出ノート「あとがき」

先日、ジョルジュ・バタイユの「眼球譚」を読み返していて考えてしまった。

なんと「快楽」と「苦痛」は離れがたいものなのか。快楽の影には苦痛があり、

苦痛にはかならず快楽に至る道程がある。そして、快楽は苦痛をともなうとき、

日常次元から浮遊し、苦痛は快楽に到達するとある種の形而上的世界を獲得する。

これは肉体的なことにとどまらず、精神世界でも同様の傾向が見られる。


たとえばキリスト教において、苦しみと救いは分かちがたく結びついている。

苦しみを受け入れることで、救いはおとずれる。救いとは、まさに精神的快楽に

他ならない。過去、西欧において疫病とは最大の苦しみであった。その苦しみに

対して、キリスト教がいかに作用したかは、ダニエル・デフォーの「疫病流行記」

にも、アルベール・カミュの「ペスト」においても、作品の主題として描かれている。

民衆が疫病の恐怖に苛まれたとき、キリスト教が果たした役割をデフォーは現象として

語り、カミュは現実と宗教との乖離として疑問を投げかけている。これらの作品にみる

だけでなく、中世以来のキリスト教は、疫病と分かちがたい歴史を共有している。

極論をいえば、疫病がなかったら今日の形のキリスト教はなかったのではないだろうか。


それでは、現代における疫病とは何だろう?

現代社会に残された人類の最大の苦痛。それは、戦争ではないだろうか。

そして戦争もまた、宗教と根深く結びついている。


この作品をつくるにあたって、聖書の『ヨハネ伝』第12章24節のキリストの言葉、

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」

を思い出した。それはこの話に出てくる、南に対してあこがれる登場人物の名前から

連想したのだが、はたして寺山がそれを意識して名づけたかを考えた。寺山の台詞や

人物名には、たいてい何らかの原典があるからである。

しかし、彼は短歌で「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの祖国はありや」

と詠っている。そして寺山の父は、第二次世界大戦で南方セレベス島において、

アメーバ―赤痢により戦病死したのである。


■スタッフ


演  出・・・・・・・・長野 和文

美  術・・・・・・・・朝倉 摂

照  明・・・・・・・・大野 道乃

音  響・・・・・・・・高橋 秀雄(SoundCube)

衣 裳・・・・・・・・・美坂 公子

企画制作・・・・・・・・池の下


■キャスト


鬼頭 理沙・・・・・・・・・・・母親/餓餓/消毒人2/疫病患者1/小間使い

島 愛美・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・白少女/天使/正義の女神

三上 歩・・・・・・・・・・・・・・・鼠取り息子/疥美/少年/疫病患者5

小出 達彦・・・・・・・・・・・・・・・羅針盤売り/人形遣い/刑事/探偵

稲川 実加・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・魔痢子/地獄の露払1

深沢 幸弘(鬼面組)・・・・・米男/忘れられた女たち/包帯男1/手術服の男

飯田 武・・・・・・・・・・・・麦男/忘れられた女たち/包帯男2/黒神父

芹澤 あい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・黒少女/令嬢

三ヶ島 拓馬・・・・・・・・・剥製屋/ビルマ亀/主人/ドジソン氏/浣腸男

岩切 チャボ・・・支配人/歯科医1/長靴の男1/自己軟禁男/地獄の露払3

澤田 武史・・・・・・・・・歯科医2/長靴の男2/エロ神父/地獄の露払6

大桑 笑生(エムズプロモーション)・・・痬子/疫病患者4/柱時計の少女/地獄の露払4

井口 香(テラ・アーツ・ファクトリー)・・・・・マヨ/消毒人1/疫病患者2/地獄の露払2

上田 誠子(テラ・アーツ・ファクトリー)・・・・・・・・・・剥製売り妻/召使/蝿叩き女

入好 亜紀(テラ・アーツ・ファクトリー) ・・・・・・・・腸江/疫病患者3/地獄の露払5


◆協  力


高津映画装飾株式会社

(有)C‐com


◆助  成


芸術文化振興基金助成事業


PROFILE